佐竹義重
この方も有名人ですので、詳しい事はここでは書かないことにします(手抜き@爆)
・・・・・と言いつつも、佐竹っていまいち超有名大名じゃないですよね・・・−−;;
武田氏と同じ、新羅三郎義光の流れを組む名門家なのに・・・・
義重は、早くに父が亡くなったために、若くして佐竹家の18代当主となります。
北は奥州に勢力を拡大させつつある伊達氏と争い、南は関東に覇を称える北条家と戦っておりましたね〜
北と南で強敵に挟まれていたのが影響して、人取橋の戦いで伊達軍にとどめがさせなかったのかな〜?と思っております。
それとも・・・・政宗の悪運の強さの勝ちかな?(爆)
北条とのとある戦いで、一瞬のうちに7名の敵を切り倒した事により、「鬼佐竹」または「鬼義重」「板東太郎」と呼ばれるようになりました。
そして、伊達氏も使っていた手ですが、近隣諸国へ我が子を養子に出したり、婚姻関係を結んだりして、勢力を拡大させ、それが常陸54万石の礎になりました。
武勇だけではなく、智にも優れていたようです^^
嫡男の義宣とセットで大河にしたら、面白い話になると思うんですがねえ・・・・
で、その鬼佐竹、42歳にして隠居して、義宣に家督を譲りました。
もちろん、若隠居ですので、相当の影響力がありました。
関ヶ原の時、じぶじぶに深く恩義を感じていた義宣は、西軍につこうとしておりましたが、隠居しても情勢を正確に把握していて、且つたぬと交流もあった鬼佐竹は、それを反対しました。
ですので、関ヶ原に於ける佐竹家の態度は、「中立」を取らざるをえませんでした。
結果論を申せば、もし、鬼佐竹がいなかったら・・・・・佐竹家は取りつぶされていたのかもしれません!
と言っても鬼佐竹、息子を当主としてしっかりと立てて、支えていたと思います。
佐竹氏が秋田に転封となった時、鬼佐竹は六郷氏の居城、六郷城に居を構える事となりました。
しかし、そこでオノデラーズの残党と思われる者達が、一揆を起こしました!
鬼佐竹、隠居してもさすがは「鬼佐竹」でした!
自ら指揮して、わずかな手勢で一揆を鎮圧させたのです。
ここでしくじったら、佐竹家はつぶされるだろうし、当主の息子の面子にかけて、父は戦ってくれたのだと私は思っております。
鬼佐竹は敷布団を使わずに寝ていたという逸話があります。
秋田に転封になった時に、さすがに秋田は寒いから・・・・と義宣は父に寝間着と敷布団を送ったのですが・・・・・鬼佐竹って相当の暑がりだったのでしょうか?結局、使わずにいつも通り薄い布団に戻したとか・・・・・
↑何だか、白人並みの皮膚の強さ(寒さに対しての)を彷彿とさせます^^;;
が、やはり秋田は寒かったと思います。
酒で暖を取っていたのか・・・・それがたたって、狩りの最中に中ってしまい、落馬してそのまま亡くなってしまいました!><
享年66歳
驚くべきは、六郷での隠居生活に子を作ったと言うことでしょうか!?
鬼佐竹が亡くなった時、その子・・・・つまり佐竹義継(義直)は、まだ母親のお腹の中にいたという話です。
子供がいなかった義宣は、彼を養子にして、跡継ぎに・・・と考えておりましたが、江戸城での能観賞中に、義継は居眠りをするという失態を犯してしまいました!
しかも、それを指摘したのは、いとこにしてライバルの伊達政宗だったとか・・・・^^;;;
それが直接的な原因だったかどうか分かりませんが、義継は廃嫡となりました・・・

閑話休題

いずれにしても、本人達は「しぶしぶ」とはいえ、凄い親子が秋田に来てくれたんだなあ・・・・と、私はうれしく思っておりまする^^;;;;
    
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