まあ、
詳しい事はブログにも書きましたが・・・・・
横手の小野寺宗家がもがみん勢に降伏した後(かと思われますが)、もがみん勢は西馬音内にも兵を進めますが
西馬音内さんとニッシキダイ君(=則道)は、西馬音内城をもがみん勢に明け渡す前に自焼きし
そして、西馬音内さんの娘にしてニッシキダイ君の姉が嫁に行っていた土肥半左衛門を頼って、庄内に逃走します。
土肥半左衛門は、尾浦城主の下吉忠の家臣で、直江君が山形を撤退した後、下はもがみん勢によって孤立させられ
もがみん勢に降伏し、もがみん勢の庄内攻めの時、東禅寺城攻めの先鋒となりました。
多分、半左衛門の主人・下がもがみんに降伏した時点で、西馬音内さんも半左衛門と併せてもがみん勢に入ったのではないか
と思われます。
もがみんから禄を貰い、ようやく生活が安定しようとしていた時、最上家ではお家騒動が起こります。
もがみんの嫡男・義康が廃嫡させられ、高野山へ追放となったのでございますが、その高野山へ向かう途中、義康は殺害されます。
義康殺害事件に加わっていた一人の中に、何と!土肥半左衛門の名がありました!
半左衛門は、もがみんに切腹を言いつけられ、それに併せてニッシキダイ君も禄を召し上げられました。
ニッシキダイ君は、半左衛門の娘・おやつを連れて、夜叉ジュニ(戸沢政盛)が新庄に移封してくるまでの19年間
浪人生活を送る事になるのでございます。
最上家改易後、元和8年に夜叉ジュニが新庄に移封してきました。
オノデラーズとの関係が深い戸沢家に、ニッシキダイ君が仕官するのは、そんな難儀な事ではなかったと思われ
200石で仕官が叶います。
おやつは、戸沢家の奥御殿で奉公する事になります。
そして、養子を貰い、土肥家を存続させる事が出来たのであります。
本当は、その後の西馬音内家の事を書くのに、1回で済ませる予定だったのですが、思ったより長くなってしまいました。
イラストも
「帰ってきた西馬音内家」だけにしようと思っていたので、話を2つに分けようと決めた時
急遽上のイラストを書き上げた訳でございます。
・・・・・別に挿絵を入れなくてもいいんですけど・・・・・最近、意味不明な意地に取り付かれている感じが致しまする(汗)