二人の道家
ブログの方にも書きましたが、八木藤兵衛と黒沢甚兵衛が、最後によっしーの元のいた時間には、「時間差」がございます

藤兵衛は、よっしーと最後に別れたのが、京の都と思われます

津和野に着いて、よっしーの処遇が決まった時に、藤兵衛がよっしーの元にはせ参じたい!と言ったのは

多分手紙でのやり取りによるものだと思います

そして、よっしーは、藤兵衛を側に置いておく余裕もなかったし、何よりも藤兵衛の母・・・

自分にとって乳母の事を思って、藤兵衛に国元へ帰る様に命じます

黒沢甚兵衛に至っては、一旦佐竹家に仕官した後、六郷の一揆の後に、禄を辞してよっしーの元に行ってしまいます

よっしー的にはとても嬉しかったと思いますが、やはり側に置いておく余裕が無く、甚兵衛にも暇を出さざるを得ませんでした

よっしーの処遇が決定した後、よっしーに引き続き仕えたい!という旧家臣の本音は、「収入確保」だったと言う人が多いです

もちろん、それもあるかと思いますけど、私めにはどうしてもそんなことよりも

よっしーを純粋に主君として慕っていた

としか思えないのでございます!

よっしーが死んだ後も、旧主家と旧家臣家は、しばらく交流する事を考えると

私らが思っている以上に戦国末期〜江戸前期の武士は、純粋に奉仕の精神を思っていたんだな・・・・

と、オノデラーズ主従を見て改めて思いました

あ、ちなみに、よっしーは五十人扶持の待遇でしたが、ごろーちゃんはその半分の二十五人扶持だったそうです^^;;;
  
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