オノデラーズ 登場人物集 オノデラーズの周辺諸国関係者編

矢島満安  
 由利十二頭と言われる由利衆の一人で、由利郡の矢島の領主。通称は「大井五郎」
 矢島の北隣に領地を持っていた、同じ由利衆の滝沢氏との抗争をきっかけに、他の由利衆から
 しばしば攻め込まれるようになった。特に仁賀保氏とは「不倶戴天の敵」と言ってもいいくらいの仲が悪くなる。
 そのため、西馬音内の小野寺茂道の娘を妻とし、小野寺氏の勢力を背景に家を存続させていた。
 勇猛果敢で、一騎当然の武者として「奥羽永慶軍記」に描かれていて、仁賀保氏の当主を四代まで討ち取ったという。
 しかし、幾度となく他の由利衆に攻められたせいか、天正の終わり頃には、力尽きるように滅ぼされたらしい。
 彼の愛馬は、「八升栗毛」といい、戦の前に豆八升を食い尽くして、主人の満安と共に戦に挑んだという。
 シリーズの中では、「やっしー」と表記されている。


仁賀保光誠
 由利十二頭の一人で、由利郡の仁賀保の領主。通称は「兵庫頭」
 矢島氏と滝沢氏の抗争で、滝沢氏に味方したがために、仁賀保氏はいつも矢島攻めの先頭に立っていたようである。
 仁賀保氏の当主が四代までも、矢島満安に討ち取られたために、由利郡の北方の領主であった小介川(赤尾曽)氏より
 養子に入ったのが、この光誠だという。
 何年もの抗争の末、矢島氏を滅ぼすことが出来、秀吉により矢島氏の領地も併せて所領安堵されている。
 関ヶ原の後、一度は常陸国の武田へ、5,000石で転封になるも、元和9年にもう一度仁賀保の地へ戻る事が出来た。
 シリーズの中では、ごくたまに「仁兵」と表記されていることもある。



安東愛季
 秋田・檜山郡の領主で、檜山安東氏の当主。通称は「下國殿」
 同族の湊安東氏を併呑し、安東氏の統一に成功。更に、浅利氏の所領・比内郡を併呑させることが出来た、秋田県における典型的な戦国大名。
 そのため、後に「斗星の北天に在るにさも似たり」と評された。
 オノデラーズとは、雄物川の水運が原因で時々衝突をしていたようで、湊騒動の時、オノデラーズが豊島殿にちょっかいを出した時
 「うちの内輪の事に口を挟まないでくれ!」とキッパリと苦情を陳べている。
 戸沢氏を初めとする、仙北衆と淀川とその支流の川の水運が原因で起こった「唐松野の合戦」の最中に、病が発症し
 密かに脇本城に運ばれるも、そこで49歳の生涯を閉じてしまった。
 シリーズの中では「北天の斗星」と表記されている。


秋田実季
 安東愛季の次男。5歳の時に、湊城主となったという。通称は「秋田太郎」「秋田藤太郎」「秋田城之介」
 「業季」という兄がいたが、若くして亡くなったので、彼が愛季の跡継ぎとなる。
 父・愛季が急死し、旧湊家旧臣達が、安東道季を擁して挙兵した「湊合戦」が起こった時も
 父に仕えていた宿老や朝倉や上杉などの亡命家臣達に支えられて、そして秀吉から「総無事令違反」で取り調べられるも
 何とか危機を乗り切ることが出来た。
 関ヶ原の時、上杉領の庄内を攻めようとしたが、最上義光の牽制もあって、冬の時期に小野寺康道が守る大森城を攻撃する羽目になる。
 この時、どうやら適当な所で軍を引き上げたらしく、最上義光が家康にその件について讒訴したらしく、秋田から常陸国の宍戸へ転封となってしまった。
 シリーズの中では「サネッティ」と表記されている。


戸沢盛安
 仙北・北浦郡の角館城の城主。通称は「治部大輔」
 こちらも兄がいたようだが、兄が病弱だったらしく、17歳で家督を継ぐ。滅法戦に強かったらしく、「夜叉九郎」「鬼九郎」という異名を持つ。
 しかし、敵兵にも慈悲の心を向けていたという優しい面もあった。
 奥羽にやってきていた鷹商人の田中清六と通じて、早くから上方の情勢に敏感だったらしい。
 安東氏のお家騒動「湊合戦」の時、安東道季の要請を受け、湊合戦に加担!しかし、負けてしまう。
 湊合戦に加担した時、秀吉の総無事令を聞いて、慌てて秀吉の小田原征伐に駆けたために、 戸沢家は所領安堵して貰えた。
 しかし、心労が祟ってか、盛安は小田原で病に倒れ、25歳の若さでこの世を去った。


 
戸沢政盛
 盛安の一粒種。母は農民であったらしい。
 盛安の死後、盛安の弟・光盛が跡を継いでいたが、朝鮮出兵のため名護屋へ向かう途中、疱瘡にかかり17歳で死去したために急遽、戸沢家の跡継ぎとなった。
 オノデラーズとは深いつながりを持っていたので、関ヶ原の後の小野寺×上杉の時、秋田実季が大森攻めに出陣した際
 安東氏の野心を警戒した事もあるが、結果的に安東氏の大森攻めの邪魔をしたことになった。
 そのため、一時期重い処分を受けそうになったらしいが、父の時から懇意にしていた田中清六が、金森長近を通じて家康に取りなして貰ったために
 常陸府中に転封する程度で済んだ。
 最上氏の改易により、新庄へ転封となり、戸沢家は幕末までそこで家を存続させる事が出来た。
 小野寺義道の次男・保道を匿い、後に自分の家臣とした。
 シリーズの中では「夜叉九郎ジュニア」または「夜叉ジュニ」と表記されている。

六郷政乗
 仙北郡または中郡の六郷の領主。通称は「兵庫頭」
 政乗の姉か妹が小野寺光道(よっしーの兄)に嫁いだが、光道が早くに亡くなってしまったため、光道の室をそのままよっしーの室に・・・と六郷側は願ったが
 よっしーはそれを拒絶したため、そこから六郷氏はオノデラーズから離れる事になったらしい・・・・
 さるの仕置により、六郷政乗は「六郷一統衆」の筆頭となった・・・・ようだ。
 関ヶ原の時は、反オノデラーズであったこともあり、もがみん勢がオノデラーズに逆襲する時、真っ先にもがみん勢につき、積極的にオノデラーズ領へ攻めた。
 関ヶ原の後、佐竹氏が秋田に移封されるのに遭わせて、六郷氏は1万石で常陸府中へ移封した。もちろん、六郷一統衆も常陸府中へ付いていったと思われるが・・・
 六郷氏は元々4,500石の領主でしたので、1万石に加増された・・・・と見えますが、六郷一統衆分を全部合わせると、実は2万2,379石から1万石の減封となった。
 ガミを食った形になりましたが、最上家が改易され、更に由利郡に移封してきた本多正純も改易された後、政乗は出羽国本荘藩(2万石)へ移封となり、幕末まで藩を存続させた!
 シリーズの中では、たまに「六兵」と表記されている事がある。




     

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