3.関係人物系図

私めがまとめているオノデラーズシリーズに登場する人物に関しての系図を載せております。
一、小野寺氏系図
小野寺氏の系図は、いろいろ系統がありますが、正しい系図は今の所不明です。
私がオノデラーズシリーズを書くにあたり、上記の系図を思い浮かべて話を進めております。
ですので、これが正しいとは言えません!
小野寺氏は、元々藤原秀郷流首藤氏の流れを組んでおりまして、下野国都賀郡小野寺庄から起こったとされております。
よっしーが書いた文書にも残っておりますが、小野寺道縄(綱)が山北小野寺氏の始祖と考えられていたようです。
道縄(綱)は、頼朝の奥州征伐で功績を挙げた事により、山北郡の地頭に任ぜられたとの事です。
しかし、道縄自身が山北に入部したとはのではなく、庶子の重道が派遣されたという説があります。
よっしーに至るまでの小野寺氏の系図は、上記のような単純なものではなかったとは思います。
二、小野寺氏関係系図


上の系図を更に詳しくしてみました!
あ!・・・・稲庭さんが載っていない(爆)
いずれにしても、上のオノデラーズの系図とと下の新庄藩との関係を示した系図を併せて見てください^^;;
ちなみに、鮭延氏についてですが・・・・佐々木綱村さんと鮭延定綱(典膳の父)が親子関係かどうかわかりませんが、綱村が稙道を頼って出羽にやってきたという
説を採って、親子関係にしました。
あと、よっしーの兄にあたる「光道」の母が、大宝寺氏であるというのは、確証がありません!
でも、「そうなんじゃないか?」という説もあるので、一応そう書いておきました。
ちなみに、系図をクリックすると、大きくなりす。
小さくて見難い時は、是非クリックしてみてください^^;;;(お戻りの際は、ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください)

三、新庄藩における西馬音内小野寺氏関係系図


西馬音内城を自焼きして、庄内へ逃走、そしてもがみんに召し抱えられたにもかかわらず、最上義康殺害事件の影響で
再び牢人生活を送る事になった西馬音内小野寺氏でしたが、夜叉ジュニ(戸沢政盛)の新庄移封を切っ掛けに
新庄藩に召し抱えられる事になりました。
仙北時代の両家は、楢岡氏を介して私らが思っている以上に深く関わっていたと考えられます。
楢岡氏は、仙北時代は戸沢氏と同等の在郷領主でしたが、戸沢氏がサルに北浦領を所領安堵された事を切っ掛けに
戸沢家の重臣に落ち着いたものと思われます
楢岡家は、元々戸沢氏と縁戚関係を結んでおりました。
後にごろーちゃん(小野寺康道)の正室になる大森御前・・・・この方、夜叉九郎君(戸沢盛安)の弟で、夜叉九郎君の跡を継いだ光盛の正室だったようです
光盛りは、文禄の役の時に名護屋に出陣する途中で、疱瘡にかかり、若くして亡くなります。
未亡人になった大森御前は、夜叉ジュニ(戸沢政盛)の母親役として、夜叉ジュニと共に一時サルの元で暮らす事になりました。
サルから帰国許可を得た後、ごろーちゃんと再婚したものと思われます。
・・・・・で、ごろーちゃんの話はともかく・・・
ニッシキダイ君(西馬音内則道)が、新庄藩に召し抱えられた後、楢岡氏の出の娘と結婚して、女の子を設けます
その女の子が、後に同じく戸沢家の家臣・大鎌氏からやってきた源五兵衛と夫婦になります。
その間に生まれたのが、六郎左衛門でございます。
で、ニッシキダイ君の奥さんの姉妹は、夜叉ジュニの側室であり、且つ二代目藩主・正誠の生母でございます。
藩主と姻戚関係を結んでいる楢岡家とつながりが持てる西馬音内小野寺氏・・・・
新庄藩に仕官した後も、それなりの待遇を受けていたと思われます。



               
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